独眼竜政宗・大河ドラマの山車
風流山車は毎年作り替える山車であり、趣向も祭りの度に考え出さなければならない。この困難を脱する一策として、時の流行・ブームによって飾りの題目を決めるケースがある。代表的なのが「NHK大河ドラマの主人公を山車に作る」との工夫であり、近年盛岡山車を含めて各地方で試みられるようになった。大河ドラマを山車にすれば一般客にも馴染みがあり、わかりやすいから人気も出る。一時期はどこかの祭りで必ずその年の大河ドラマの山車が出たものである。
政宗の甲冑は独特で、北の守り神である玄武の黒で軍装を統一している。真っ黒な筋兜には、刀身のように鋭い三日月(新月)が掲げられた。これは戦国武将が競って拵えた「変わり兜」の中でも秀逸といわれる意匠の一つで、山車に政宗を凝らす場合は必ずこの兜が使われる。黒の甲冑は山車にするには地味なので、金を主体とした色彩に解釈し直されることが多い。この兜が無ければ政宗たる説得力がなく、逆に三日月前立て・眼帯を伴うとどんな武者も政宗に見えてしまって個性を出しにくいという欠陥がある。
紫波町日詰では馬に乗せない立ち姿の政宗が出たが、ざんばら髪を鉢巻で結って眼帯をかけ、片手に新月の兜・もう片方に采配を持たせた。石鳥谷や一戸では騎馬武者の政宗とし、兜には極めて強調された形で新月が輝いていた。いずれも大河ドラマの切り取りというべき準拠したデザインが多い。 人質になった父を見殺しにし、母に毒殺されかけ弟を殺し、小田原参陣に遅れ死に装束で秀吉に謁見…など、政宗の武勇伝は多い。この種「逸話系」政宗として、一揆の誘発を見抜かれた政宗が金の磔台を掲げて上洛する場面が山車に出たことがある(日詰まつり『風流 政宗一揆掃討』)。
(ホームページ公開写真) (音頭) 天紀不乱(てんきふらん)の 槍一閃 伊達六拾萬石(ろくじゅうまんごく)の 朝ぼらけ 独眼(どくがん)鋭く 天下を睨む ゆけよ梵天 龍の如(ごと)
歴代最高視聴率大河の『独眼竜政宗(どくがんりゅう まさむね)』が放映された昭和62年、それまで全く山車にならなかった伊達政宗(だて まさむね)が一気に全国で山車にされ始めた。当時の趣向は近年一戸町などでまばらに復活されているものの、ほとんどは一時期の熱狂で終わってしまっている。
政宗の甲冑姿は一に眼帯、二に兜の細三日月(新月)で他と差別化されており、従来に無い新しい風を武者人形に採り入れている。それまでも加藤清正の兜などは他と違う仕上げ方で作られてはいたものの、政宗の山車が出てからは「戦国武将の兜はそれらしく作る」ことが広く山車製作者の間で常識化したきらいがある。
伊達政宗は東北地方を代表する戦国大名で、その果断な性格と類い希な発想力から織田信長と比較されることが多い。政宗自身、秀吉の惣無事令にはなかなか服さなかったし、関ヶ原合戦でも心中に天下を狙って動いていた。結局一外様大名として仙台に62万石を領するにとどまったため、「遅れてきた英雄」「遅すぎた英雄」と惜しむ声が多く聞かれる。
政宗は幼い頃に熱病にかかって隻眼となった為、刀のつばで片眼に眼帯をかけている。大河ドラマでは隻眼となった梵天丸(ぼんてんまる:政宗の幼名)が容貌を忌み嫌われて引っ込み思案になり、周囲が何とか心を開こうと努める一連のシーンが見所となっている。梵天丸はあるとき不動明王の前に立ち、僧から由来を教えてもらう。強さと慈悲を兼ね備えた不動明王に憧れ「梵天丸もかくありたい」と呟く場面が人気を呼び、その年の流行語大賞になった。ゆえに昭和62年当時は、一切の注釈無しで「梵天丸=伊達政宗」が通用していた。山車人形に『見返し 梵天丸』が通用しえた唯一の年である。
山車の台数が少なく比較的小規模な山車祭りでは、大河ドラマの物語を山車にするのが定例となっている地域もある(岩手県北上市江釣子、宮城県石巻市広渕など)。盛岡周辺ではそこまで徹底した対応は見られないが、年によって盛んに影響されている例がいくつかある。大河ドラマに特化した山車演題としては、『前九年の合戦』(平成5年:炎立つ)、『安倍頼時』(平成6年:炎立つ)、『前田利家/利家の妻まつ』(平成14年:利家とまつ)、『池田屋騒動』(平成16年:新撰組!)、『直江兼続』(平成21年:天地人)、『平清盛』(平成24年:平清盛)、『黒田官兵衛』『中国大返し』(平成26年:軍師官兵衛)、『清水冠者義高』『御狩の万寿』(令和4年:鎌倉殿の13人)、『榊原康政』(令和5年:どうする家康)などがある。表の演題にはならないにしても、見返しに大河の趣向を採り入れる例は他系統含め数多い。伝統演題である『川中島』や『五条大橋』も該当する大河ドラマの年には出やすい傾向にあり、清盛のドラマの年は『碇知盛』・官兵衛の年は『森蘭丸』が頻出した。既に作例の在った『真田幸村』も大河ドラマ「真田丸」の年以降は頻出題となり、意匠の再現度も高まっている。
盛岡山車の場合、独眼竜政宗をきっちり山車に対応させていく素地が昭和晩期までにしっかりと出来上がっていたことになる。新作演題が本格的に増え始めたのは昭和50年代であり、大河ドラマをはじめ時流に沿った演題を工夫していくこともまた、風流山車としての盛岡山車をより発展させる一つの力になったといえよう。
【他地域】 政宗は青森県南部および秋田沿岸部でよく山車に出てくる。近年は戦国BASARAの影響か、政宗と真田幸村が対峙する場面が目立ってきた。政宗の黒に対し真田は赤備えなので、舞台を色鮮やかに仕上げることが出来る。反面、従来の鎧ものに比べ単調な色遣いになってしまい、和の美しさが出にくい。東日本大震災を受けて、被災地宮城の英雄として政宗を山車に出し復興を応援しようという動きも出てきた。
文責:山屋 賢一/写真:山屋幸久・山屋賢一
本項掲載:一戸町野田組H10・石鳥谷上和町組S62・二戸市五日町H25・日詰上組H28
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絵紙
風流 伊達政宗 紫波町日詰上組
石鳥谷町上和町組(本項)
一戸町野田組@(本項)A
二戸市福岡五日町(本項)
紫波町日詰上組(十字架:本項)
秋田県角館町
青森県東北町
青森県南部町
岩手県久慈市
二戸市福岡下町
(新聞広告)
一戸町野田組
二戸市福岡在八一戸町野田組@A(正雄)
青葉の山に 天下を望み 眼をかけるか 一槍に
金の十字架(じゅうじか) 頭(かしら)に備え 白の装束 身に纏い
天下を望むや 青葉の山に 伊達の男の 心意気
凜烈(りんれつ)累なる(かさなる) 三百年 伊達政宗の 城固め
※梵天丸
喜多(きた)の局(つぼね)の 扱(しご)きに育つ 梵天丸よ 剣をとれ
やがて飛び立つ 雛鳥(ひなどり)愛(めご)き 暴れん坊よ 天に飛べ
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